弘仁14年(823)鎮座。神功皇后は土蜘蛛田油津姫(たぶらつひめ)討征のため上ノ原に軍勢を集め、又三韓出兵の準備もされた。自分の太刀(銘:乙王丸)を奉納し、太刀塚に納められた。その為近くに徳次・塗器の地名あり。その跡に太刀八幡宮を建てた。山田堰を築造した古賀百工(こがひゃっこう)作の子持鳥居が境内南側にある。令和5年に1200年祭を迎へ社殿修復等の奉賛活動を経て記念大祭を実施する。
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